大須賀 健太(おおすが けんた)


株式会社OrlandoJapan代表取締役。明治大学ラグビー部出身。大学卒業後、横河電機株式会社に入社。その後、渡米し、楽天株式会社を経て同社を創業。日本の食材の輸出事業、Web事業、飲食・卸事業の3本柱で展開する。


人生を変えたオーランド留学

まず、現在のお仕事内容について教えてください。


株式会社OrlandoJapanの代表を務めています。「日本『食』の新時代への挑戦」「日本『食』で世界の人の笑顔を創る」「地域食材のブランド化」の3つをミッションに掲げ、海外輸出、Web事業、飲食・卸事業の3事業を主に展開しています。


大須賀さんは新卒で横河電機に入社されているそうですね。現在のお仕事とはまったく異なる領域かと思いますが、OrlandoJapan創業に至った経緯を伺えますか?


OrlandoJapan創業の直接のきっかけは、横河電機退職後のフロリダ州オーランドでの留学経験です。それ以前は、食とは無関係の仕事をしていました。


もともと私は、中1からラグビー一筋で生きてきました。明治大学ラグビー部のつながりで、伝統のある企業ラグビーチームを有する横河電機に入社。社会人ラガーマンとして、第一線でプレイしていました。


転機が訪れたのは社会人4年目のときです。ラグビーだけではなく、社会人として仕事もしっかりやっていきたいと思った私は、海外営業への異動を希望しました。成長著しい海外のフィールドで、ビジネスパーソンとして自分がどこまでできるのかを試してみたいと思ったんです。しかし、私の英語力の問題もあり、異動はなかなか叶いませんでした。


「このままだと、すぐに20代が終わってしまう」そう思った私は、思い切って自力で渡米することを決意。「一部上場企業を辞めるなんてもったいない」と、ほとんどの方に反対されましたが、ずっとお世話になったラグビーの監督とトレーナーの2人だけは「行って来い」と応援してくれて。その言葉が大きな後押しになり、単身フロリダ州オーランドに渡りました。


しかし、いかんせんお金がない...。貯金はすぐに尽きて、立ち行かなくなってしまったんです。「こんな体たらくで絶対に帰国できない」と思った私は、オーランドの日本食店に手紙を書き、アルバイト先を探しました。断られ続け、途方に暮れていた私を受け入れてくれたのは、日本人オーナーが経営している寿司店でした。


オーナーは日本人でしたが、従業員は全員アメリカ人という環境。日本食の作り方をアメリカ人から教わったんです。指導は決して甘くはありませんでしたが、私は夢中でバイトに打ち込みました。生活に困窮していたというのももちろんありますが、私を救ってくれたオーナーに少しでも早く恩返しがしたいという気持ちに加え、お客さんに「おいしい」と言ってもらえることが何より嬉しかったんです。


アルバイトに打ち込むうちに、食に対する関心もしだいに高まっていきました。オーナーは、日本食特有の良さを大切にしつつも、現地のお客さんの口に合うように、独自のアレンジを加えた料理を提供していました。守るべきものは守り、柔軟に変えるべきものは変える。そんなバランス感覚に触れ、日本食の奥深さの虜になっていきました。


一方、問題意識も芽生えました。オーランドには日本食店が10店舗ほどあったんですが、日本人が経営していたのはそのうち3店舗だけ。「日本人が立ち上がらない分、海外でのポテンシャルが失われている」というオーナーの言葉が身に沁みました。そして、その状況に対して、私自身が立ち上がり、私にチャンスをくれた日本食に恩返しがしたいと強く思いました。「日本の『食』で日本を元気に!」という夢が決まったのはこのときです。


その後、出汁文化といった日本食の良さを若い世代にも伝えられるお店を作るべく、現地で準備を始めました。しかし、設備も導入する直前まで漕ぎ着けた矢先、ビザの問題で帰国を余儀なくされてしまったんです。アメリカ生活2度目の挫折でした。


帰国後、これからどうしていこうかと考えたときに、三木谷浩史氏の本に感銘を受けたことをきっかけに、楽天に入ろうと決めました。楽天は食材のECも手掛けていたので、そこで働く以外に道はないと思っていたほどです。面接の場に事業企画書を持ち込み熱弁した結果、運良く1万人以上の応募者の中から採用していただけて。希望通り、食材部門のECコンサルタントになりました。日本全国の逸品食材を発掘し、担当店舗のブランド価値、商品価値を創造していくお仕事です。


ECコンサルタントとして働く中で気付いたことがあります。それは、日本の食を支えているのは、生産者に他ならないということです。食材に対する愛・プライドが本当にすごい。でも、ブランディングがなかなかうまくいかず、十分に認知されていない。そんな実態を目の当たりにしたことで「生産者の思いとストーリーを丁寧に伝えることで付加価値を高め、国内外にもっと需要を生み出す仕事がしたい」と強く思いました。


こうして、OrlandoJapanは生まれました。日本食というテーマに出会ったオーランドの名を借りて、OrlandoJapanです。


創業後は、もともと構想していた輸出事業以外に、Web事業や飲食業にも挑戦しました。2018年には「地域食材のブランド化」をテーマに、東京・中野にホタテ専門店「ホタテん家」をオープン。YouTuberやテレビにも取り上げていただき、お客様・スタッフから愛されるお店にすることができました。

大切なことはラグビーが教えてくれた

お話を伺っていて、行動力に驚かされました。何が大須賀さんの原動力になっているんでしょうか?


長いラグビー経験から「努力は絶対に誰かが見てくれている」ことを知っていることが私の武器だと思っています。明治大学ラグビー部に入部した当時、私は4チーム中最下位のチームで、その中でも試合に出させてもらえないほど、たくさんのスター選手の中に埋もれていました。


そんなとき、私がやったことはシンプルで、時間と効率を意識して人の2倍努力すること。結果、引退時にはエースチームの選手に選んでもらうことができました。結果しか求められない世界で効率を意識しなければならないと気づけたことは、今の仕事にも活きています。ただ、最後はいつも人に助けられているのかもしれません。これからもが「まっすぐがむしゃらに努力すること」は私の一番の強みにしていきたいです。


仲間を守りたいという気持ちも大きな原動力になっています。これもラグビーで培った価値観です。付いてきてくれる仲間を守りたい、一緒に成長したい。その一心で、従業員やアルバイトスタッフに接しています。このチームで勝っていくには何をすべきか、どんな経営判断が求められているのかを常に考えています。


そして何より、これまで自分を支えてくださった方に恩返ししたいという気持ち。「もはやこれまで」かと失意に陥っていた私に手を差し伸べてくれたオーランドの日本食店オーナーに、楽天でECコンサルタントを務めていたときに出会った生産者のみなさん、会社が苦境に陥ったときに助けてくれた方々、そして、当社の輸出事業をサポートしてくださっているビジネスパートナー。彼ら仲間の支えなくしては、今の私はありません。その恩に報いるためなら、どんな苦労も厭わずにできます。私がいきいきと仕事ができている根源は、やはり仲間です。

最後に、今後挑戦したいことについて教えてください。


目下、2つのことに取り組みたいと考えています。


まずは、注力している輸出先であるベトナムでの食ビジネスの挑戦。輸出事業と関連させながら、サプライチェーンの上流から下流までを貫くビジネスを現地でつくりたいと思っています。


そして2つ目は、当社がベトナム輸出を手掛けるきっかけとなったSetoさんというベトナム在住の師匠に恩返しをすること。Setoさんには、食材のこと、ベトナムでの飲食店ビジネスのこと、経営者として、人間としてどうあるべきか、本当に多くのことをゼロから叩き込んでいただきました。「俺を越えて、お前はASEANの視野を持て」と常に言われます。


その期待に応え、必ず恩返しがしたい。現在は成長著しいベトナムへの輸出事業に力を入れていますが、これを皮切りに日本人として挑戦を続けていきます。食をテーマに、新たなビジネスモデルや需要を生み出し、いずれは「ASEANのOsuga」と言われるような働きをすることが目標です。