加藤 順彦 ポール(かとう よりひこ)


大阪府出身。1992年に有限会社日広(現GMO NIKKO株式会社)、2003年にLENS MODE PTE.LTD.を創業。また1997年以降、国内外70社超の日本人起業スタートアップにエンジェル投資。2008年、日広をGMOインターネットグループに譲渡後にシンガポールに移住。2010年に同国永住権取得。2017年からは家業を承継し、理美容シザー事業を展開する。


大学時代の衝撃的な出会いから始まった事業家人生

加藤さんは事業家として活躍されていますね。事業家人生に歩みを進めた最初のエピソードを教えていただけますか?


ビジネスの世界に飛び込んだのは大学時代です。実家が鋼材問屋をやっていて、会社を継ぐために、入学した関西学院大学では商学部に入りました。しかし、授業はまったくの期待はずれ。入学1ヶ月あまりで大学に通うのが楽しくなくなっていました。商売を学ぶために入学したのに、学術的な話ばかりで実践的なビジネスのことはほとんど学べなかったからです。そんなときに、すごく面白い先輩に出会ってしまったんです。人脈が広く、どこに行っても顔パスで...一緒に遊ぶうちにどんどん魅力に引き込まれていきました。それが、後にKLab株式会社を創業する真田哲弥さんです。真田さんは「これからは学生でも起業だ!」と明言していて、当然のように実家を継ぐんだと思ってきた私にとっては電撃が走るほどエキサイティング。この人と行動を共にしたら必ず面白い方向に転がっていけるんじゃないかと直感しました。そんな先輩・真田さんが起業すると言うので、私も迷いなく参画。運転免許合宿の斡旋事業を始めました。


その後、真田さんが東京で電話の情報サービスの会社を創業しました。当時大学4回生だった私も誘われたのですが、大阪の大学に通っている学生が東京で働くなんて、非常に大きな決断ですよね。もちろん親は私が家業を継ぐことを期待していましたし、東京に行くかどうか1年くらい悩みました。しかし、最終的には上京を決意。4回生の後半からは、東京に拠点を置きながら週に1度大阪に帰って授業に出るという、大学生らしからぬ生活をしていました(笑)

大学時代の衝撃的な出会いから、東京に移ってベンチャー企業に就職されたんですね。


はい。しかし紆余曲折あり、結果的に電話の情報サービスの会社は倒産してしまいます。その1ヶ月後、徳間書店が事業を引き取ってくださることになり、私も転籍。会社が潰れてしまったのは非常に残念でしたが、事業の価値を信じていたので場所が変わっても続けていこうと考えていました。ところが、その事業が停止することになったんです。我が子のように育ててきた事業がなくなってしまい、何のためにここで働いているか分からなくなってしまいました。家業は継がないと啖呵を切って東京に出てきたので、親には会社が潰れたとは言えず...大阪にも戻れず、東京にもいる意味がない。会社で成果が出せていなくて恥ずかしかった気持ちもあり、自分にイライラする苦しい日々でした。


辛い時期を過ごしましたが、翌年に広告会社『有限会社日広』(現GMO NIKKO)を立ち上げます。当時の会社で勤め続ける意味が分からなくなり悩んでいた最中、知り合いの起業家たちから「広告の仕事を依頼したい」と言われたのが契機でした。最初はすごくやりたいと思っていたわけではなかった広告事業。ところが、始めてみるとめちゃくちゃ儲かりました。元来、モノを売る方法を考えることが大好きだったので、性に合っていたんでしょうね。


しかし、創業から3年目になり、またもや大きな壁にぶち当たります。当時は雑誌広告をやっていたんですが、雑誌は広告枠が限られるのに加え、すでに大手代理店が多くの広告枠を買い占めてしまっている...。これ以上会社の成長は見込めない、ということに気づいてしまったんです。そんなとき、1995年秋にマイクロソフトがWindows 95を発表。インターネットという新しいメディアが台頭してきたんです。「この産業は必ず急成長する!」と確信しましたね。この波に乗らなければと、雑誌広告からネット広告に事業をシフトしていきました。ページに限りがある雑誌と違い、インターネットは制限がない。さらに、まだ不明瞭なインターネットという産業に大手は参入しづらい。だからこそ、このフィールドは私の会社のようなベンチャー企業が勝てると思ったんです。


そこから6年あまりでネット広告業界全体が躍進し、今も存続している多くのネット広告会社が誕生しました。日広もネット広告を始めた当時2人だった社員数が、2005年には200人近くになっていました。激動でしたが、本当に楽しかったですね。2008年に日広はGMOインターネットグループ傘下に入り、GMO NIKKOに。そのタイミングで私は社長を退任し、シンガポールに移住しました。

突然の移住...なぜシンガポールに?


シンガポールにあるLENS MODEというコンタクト通販会社の経営に、2003年からエンジェル投資家として参画していたのですが、ずっと赤字だったのが日広を退任した時期にちょうど黒字になったんです。LENS MODE代表の楢林さんに「加藤さん、やることがないならぜひシンガポールに来ませんか?」と言われ、縁もゆかりもなかったシンガポールに移住することにしました。LENS MODEは当時は非常に珍しい越境ECをやっていたんですね。今までにない新しい事業で非常に期待していたので、私も投資家としてだけでなく本格的に経営に入り込むことにしました。そこから現在まで11年以上、シンガポールに拠点を置きながら、日本を含むアジア各国を飛び回る生活をしています。

新しい価値観を作り出すことが面白い

本当に多種多様なフィールドで事業を展開してこられていますね!現在はどのような活動に注力していますか?


現在は、東南アジアで起業に挑戦している若い起業家の支援を行うかたわら、実家の会社を経営しています。理美容シザー専門の研ぎサービスである「ToGEAR(トギア)」と、買取サービスである「高即シザー買取」を2019年1月に開始しました。


私は実家を継ぐという選択肢は考えていなかったですし、家業とは縁遠くなっていました。しかし実家を継いで経営していた弟が2017年5月に他界してしまい、これを機に価値観が変わり、継ぐことを決意したんです。実家を継ぐかどうか悩んでいた23歳のときは経験も浅かったので、実家を継いでもすでにやっている事業しかできないと思い、東京に出るという選択をしました。一方今は様々な事業を経験してきて、自分がやりたい領域で実家の会社を継続していければ良いと考えています。親が生きている間に、「会社をやっていて良かった」と思ってもらえるようなことをしたいですね。

数ある領域の中で、なぜ理美容シザーに着目したのですか?


2018年に理美容シザーの研師さんと知り合い、業界のことを教えてもらったのがきっかけでした。実家が鋼材問屋なので金属の加工事業に取り組もうと考えていたとき、理美容シザーに関わる事業はビジネスチャンスがあるなと気づいたんです。日本では、理美容のシザーは使い捨てではなく、包丁のように研ぎながら長く使用していくのが一般的です。研ぎの作業は、卸業者が美容室に直接訪問してシザーを回収し、研いで返却するという流れなんですが、回収から返却までなんと約1ヶ月半もかかるんです。しかも、30年くらいはずっとそのビジネスモデルなんですよ。今、美容室は日本に約37万店舗あるにも関わらず、シザーを研ぐ仕事をしている人は非常に希少なんです。やっている人が少ない領域なので、なかなか他の人が真似できない。これは成功すると思いました。


弊社では、ネットで研ぎを依頼していただき、郵送で送ってもらったシザーを研いで返送するという方法を採用しています。従来のやり方だと回収から返却まで約1ヶ月半ですが、ネットと郵送で代替することにより1週間以内に返却しています。

理美容シザーの研ぎ事業に対して魅力に感じている点を教えてください。


1番は、お客さまとの関係性を長く構築できるというところですね。シザーの品質を維持するには、「研ぎ」というメンテナンス作業が必須です。持ち主に信頼していただけたら、2回、3回とリピートしてもらえるので、継続的な関係を築くことができます。


同じ意味で、LENDS MODEで取り扱っているコンタクトレンズもすごく魅力的な商材です。コンタクトレンズは使い捨て商品なので、反復購入が前提になっています。一生のうちに家を買う回数は限られていると思いますが、コンタクトレンズもシザー研ぎもお客さまとの接点が何度も生まれるんですよ。お客さまとの関係が継続できたら、好みや傾向から新しいことを提案できるなど、深いコミュニケーション設計ができる面白さがあります。


現状、美容師さんにとって、シザーの研ぎ先にはあまり選択肢の幅がないんです。大抵の場合、お店が慣例的に出している卸業者に研ぎを依頼しています。美容師さん個人個人に、弊社のような新しい選択肢を知ってもらって、自ら選んでもらえるようになったらこの上なく嬉しいです。


私は多岐にわたる領域で事業をやってきましたが、一貫してワクワクするのは新しい常識や価値観を作り出すこと。事業を通じて、人々が当たり前に選んできたものに別の選択肢があることを提示していきたいですね。

今後の展望を教えてください。


将来的には、理美容シザーのビジネスで世界一になりたいです。日本ではシザーは高級品なので、研いで長く使う習慣が根付いています。しかし多くの国、特に東南アジアでは安価で大量に作られたシザーが使い捨てされている状況です。サステナビリティのためにも、このあり方を変えていかなければいけないと考えています。世界中の美容業界でシザーを研いで長く使うという考え方を普及していきたいです。


現在、シザー研ぎの事業を始めて10ヶ月。リピートしてくださるお客さまが現れたところです。これからは広報にもさらに注力し、利用してくださるお客さまを増やしていきたいですね。